2005年05月30日

歴史は繰り返す。

 (長くなっちゃったので、推敲もせず(いつもろくにしないが)あげちゃうどす。おいおい直してきます。)
 
 メモリアルデー・ウィークエンドということで、町の中心で屋外コンサートがあったので、行ってきた。

 去年はなかったのだが、今年は第2次世界対戦のころに実際に使われていた、ジープ(GM製)、水陸両用社(フォード製)、半分戦車+半分トラック、医療車両などなどが、展示されていた。
 好きな人たちが自らリストアして並べている、ちょっとした博物館。彼らは軍服を着て模型のライフルなどを持って、子供やその親たちに説明をしたりしていた。

 またあちこちには、退役軍人の方と家族が大挙して陣取って盛り上がっているグループもあった。

 こんな催し物で思い出すのは、祖父の足だ。第2次世界大戦に参加して負傷し、十分な手当てができなかった為に、ひざが棒のように固まってしまい曲げることができなくなった、足だ。
 保育園のころには、よく一緒にお風呂に入ったが、まっすぐな足なのに起用に湯船につかるもんだなぁ、と変な感心をしたことを覚えている。その足に乗って、10まで数えていたような気がする。
 たしか、「戦争で曲がらなくなっちゃったの?」と聞き、「そう。」という返事があったような気がする。それ以外、祖父が戦争のことを口にしたことは一切ない。

 さて、そんな思い出を繰り返しながら、楽しく語らう元軍人たちを見た。「結局かれらは、駒なんだ」と痛切に思った。祖父もそうだ。駒である以上、意見など作戦遂行時には不要で、戦争に勝つための様々な命令を実行し成功させるしかない。戦争がおわれば、いろいろな世論が待っているだろうが、駒であってそして、戦争のごく一部の命令しか見ていない人間には、戦争を語ることは実は案外と出来ないものじゃないかと思う。とくに、敗戦した側では顕著だろう。
 その意味では、無言で去った祖父にはあらためて尊敬の念を感じた。一方、戦争に勝ったこと祝い、勝ったことだけが当時の戦争の意義を正当化し続けるという見え隠れする考えには、激しい抵抗を覚えた。戦争を美化するしか目的をもたなくなったメモリアルデーは、じつは憎しみを育てるだけの意味しかない。

 

 さて、そうすると自然に頭は、いまの日中や日韓の問題に飛ぶのだが、いかんせん、知識がない。やっつけ仕事でサイトの斜め読み。

 まずは・・・
 http://88th-night.tea-nifty.com/nekojita/2004/09/post_14.html
 ここのブログのコメントのところで、唯一戦争を仕掛ける組織である国とそれを形成する国民の関係の違いお勉強。
 
 それから、靖国神社の訪問の件で・・・
 http://www.hcn.zaq.ne.jp/caarc303/page019.html
 ここで、日中韓の経緯なんぞお勉強。

 そして、養老さんの「中国人は敵を墓まで追いかけて恨みを晴らすが、日本人は死んだらホトケで・・・」というくだりが頭をよぎったので、儒教、仏教について・・・
 http://cgi.ichikawa-souten.jp/user-cgi-bin/ichi_column/diary.cgi

 まぁ、こんな付け焼刃な斜め読みの感想からいうと、「歴史は繰り返す」んだなぁと。
 日中韓は、ずーっとこんな関係を続けてきてるんでしょう。歴史認識なんて言い出したら、一体いつの時代まで遡るべきか答えはありません。ずーっとこころの奥底でいがみ合って関係しかないんですから。(しかし、日中韓間のそれぞれに対するそれぞれの感情っていつ、作られるんだろう???)
 もう、言いたいことを言っちゃえばいいでしょう。
 
 そして、いちいち真剣に神社の取り扱いを論じたりする必要はありませんよ。理事国入りをどうするのかを議論するほうがよっぽど効果がありますよ。
 
 だって・・・
 
 各国には各国の戦没者の追悼の仕方があるから(だったかな?)という理由で、GHQによる靖国神社の焼き払いは中止になったと聞きました。
 つまり、キリスト教の国からしたら、中国や韓国の言い分は明らかに内政干渉です。(しかし、そもそも、検討中の教科書の中身が他国にバレるってこと、異常でしょう。公安さんがらみの問題には、なぜならないんだろう???)
 中国韓国の、儒教、仏教、道教(?)、キリスト教の融合した国からしたら、、、なんでしょうね? でも、要するには、長年のいがみ合いをなんらかの理由で、ボルテージを上げてるだけ、としか合理的に考えたら答えはありません。つまり、日本の理事会入り問題、かな。

 前出の http://cgi.ichikawa-souten.jp/user-cgi-bin/ichi_column/diary.cgi の「見えない世界、真実の世界」ってコラムでは、「許すこと」がどの宗教にもとっても重要で大切なものだって智されてるとあります。
 スリランカは、それを実践して2次世界大戦の日本への補償要求をしませんでした。
 アメリカでも、とある母親は今のアメリカの考え方になみなみならぬ危惧を示しています。「アメリカがやってることは、かならずシッペ返しをくらう。ローマ帝国のように。わたしが生きてるうちはいいかもしれない。でも、わたしの子供達がとても心配・・・」
 こう考えると、中国と韓国が、日本の向かっている方向に危惧を表明する意味で、日本をバッシングなら過去を引き合いに出すのは、感情的にも論理的にもおかしいんですよ。もっと、他に行動・表現方法はあるはずでしょ。
 直近の過去を引き合いに出して日本を責める理由は、理事国入り問題で国際世論を引きつけたいってな事しかありませんね。それと、日本は相手の文句に真正面から取り組んでしまう国なので、たとえ理事国入りさせたとしても、何か見返りを十分に期待してるんでしょ。

 だからつまり、歴史が繰り返してるだけだとおもって、文句には文句で返しとけばいいんです。そして、神社ではなく、理事国入りを議論する方がいいのでないかなぁと思うのでした。


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posted by ニャー皇太子 at 15:17| デンバー ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 人間-政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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